酒井忠胤

 
酒井忠胤
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝7年(1679年
死没 正徳2年7月20日1712年8月21日
改名 勝之助(幼名)、忠胤
別名 忠純
戒名 耀巌院殿巨山浄琳大居士
墓所 東京都港区愛宕青松寺
官位 従五位下備後守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣
安房勝山藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠国毛利就隆の娘
兄弟 忠胤忠成
正室石川憲之の娘
忠篤
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酒井 忠胤(さかい ただたね)は、安房国勝山藩の第2代藩主。初代藩主・酒井忠国の長男。

略歴

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天和3年(1683年)、父の死去により家督を継ぐ。このとき、弟の忠成に3000石を分与した。宝永6年(1709年)3月に叙任する。正徳2年(1712年)7月20日、34歳で死去し、跡を長男の忠篤が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女