酒井親本

 
酒井 親本
時代 江戸時代中期
生誕 宝永2年8月20日1705年10月7日
死没 享保16年9月4日1731年10月4日
別名 与四郎(通称)、忠丘、忠虎
戒名 台雲院殿明応源光大居士
墓所 群馬県前橋市紅雲町の龍海院是字寺墓地
官位 従五位下、阿波守、従四位下、雅楽
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
上野前橋藩
氏族 雅楽頭酒井家
父母 父:酒井忠菊、母:堀田正休の娘
養父:酒井親愛
兄弟 親本忠武忠恭忠香
正室:勝姫養真院秋田輝季の娘)
斐姫(風早公雄室)、僴治、養子:忠恭
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酒井 親本(さかい ちかもと)は、上野前橋藩の第8代藩主。雅楽頭系酒井家13代。

生涯

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宝永2年(1705年)8月20日、越前敦賀藩の第2代藩主酒井忠菊の長男として生まれる。享保元年(1716年)8月3日に前橋藩の第7代藩主・酒井親愛の養子となり、享保4年(1719年)12月18日に従五位下・阿波守に叙位任官する。享保5年(1720年)4月13日に親愛の隠居にともない家督を継ぎ、享保6年(1721年)に従四位下・雅楽頭に昇叙された。

享保16年(1731年)9月4日に前橋で死去した。享年27。跡を弟で養子の忠恭が継いだ。