徳川厚

德川 厚
とくがわ あつし
『華族画報』に掲載された写真
生年月日 1874年9月2日
没年月日 (1930-06-12) 1930年6月12日(55歳没)
出身校 学習院卒業
前職 東明火災海上保険取締役
配偶者 徳川里子
子女 長男・徳川喜翰
次男・大木喜福
親族 父・徳川慶喜(征夷大将軍・貴族院議員)
義父・松平慶永(大蔵卿)
義兄・徳川達孝(貴族院議員)
弟・池田仲博(貴族院議員)
弟・徳川慶久(貴族院議員)
弟・徳川誠(貴族院議員)
義弟・徳川圀順(貴族院議長)
義弟・蜂須賀正韶(貴族院副議長)
義弟・大河内輝耕(貴族院議員)
義弟・四条隆愛(貴族院議員)
義弟・毛利五郎(貴族院議員)
義弟・三条公美(貴族院議員)
義弟・松平慶民(宮内大臣)
義弟・徳川義親(貴族院議員)
甥・徳川慶光(貴族院議員)
甥・朽木綱博(貴族院議員)
甥・四条隆徳(貴族院議員)
甥・蜂須賀正氏(貴族院議員)
従兄・徳川篤敬(貴族院議員)

選挙区貴族院男爵議員
当選回数 3回
在任期間 1904年7月10日 - 1925年7月9日
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德川 厚(とくがわ あつし、1874年明治7年)9月2日 - 1930年昭和5年)6月12日[1])は、日本実業家政治家名望家[2]爵位男爵龍山新字体徳川 厚(とくがわ あつし)とも表記される。

東明火災海上保険(現在の日新火災海上保険取締役貴族院議員などを歴任した。

来歴

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生い立ち

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江戸幕府第15代将軍であった德川慶喜の四男として生まれた。母は側室中根幸。小林与七郎のもとに預けられる。兄の夭折により、慶喜の事実上の長男として育てられた。1882年(明治15年)11月に9歳で德川宗家から分家し、華族に列した。なお、德川宗家自体の家督は、1868年の時点で既に慶喜から德川家達に譲られている。

1884年(明治17年)7月7日、華族令に伴って男爵に叙せられる。なお後年になって、慶喜が公爵に叙され新たに徳川慶喜家を興すが、こちらの家督は厚の弟である德川慶久が継いでいる。そのほかの弟には、徳川慶喜家から分家した德川誠や、勝海舟(伯爵)の家を継いだ勝精などがいる。

実業家として

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1887年3月、弟・博(後の池田仲博)とともに静岡から東京に移り、4月、学習院に入学する。1888年7月、学習院を卒業する。1895年12月、旧越前福井藩主である松平春嶽の六女・里子と結婚する。1904年の第3回貴族院男爵議員選挙にて選出され、同年7月10日に貴族院議員に就任した[3]。以来、1911年の第4回貴族院男爵議員選挙[4]1918年の第5回貴族院男爵選挙でも再選され[5]1925年7月9日まで貴族院議員を務めた[1]。また、東明火災保険(後に東京海上火災に合併)取締役も務めた。1927年(昭和2年)5月、隠居し、長男・喜翰に家督を譲った。墓所は東京都台東区上野寛永寺

ひき逃げ事件

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1917年(大正6年)12月に運転免許状を取り、厚は自ら自動車を運転していた。1918年(大正7年)3月7日の夕方、帝国ホテルで食事をしてかなりの酒を飲んだ。帰途も自ら運転を行い、酩酊していたため自宅とは違う方向に走らせていた。煮豆屋の屋台にぶつかり、屋台を引いていた男が左大腿部に全治3週間の重傷を負った。厚はそのまま自動車を運転して現場を離れるも、通行人が警察に届けてほどなく取り押さえられる。厚は酩酊していてまともに返答できなかった。3月10日、警視庁は飲酒運転の廉で運転免許状の返納を命じる。16日、右側通行が道路取締役規則に違反しているとして、警視庁は10円の過料処分に付された[6]

人物

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「趣味すこぶる広汎にして、競馬撞球銃猟運動絵画等何れも玄人の域に達する」[7]と評された。

文学を好み龍山と号した。また、天理教徒でもあった。

家族

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妻の里子(1878年 - 1955年)は、旧越前福井藩主・松平慶永の六女。子女は以下の5男2女である。

出典

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  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』78頁。
  2. ^ 『帝国名望家大全』東京府69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月5日閲覧。
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、14頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、21頁。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、27頁。
  6. ^ 明治・大正・昭和華族事件録(千田稔著、新潮文庫)
  7. ^ 『人事興信録』(大正14年)
  8. ^ 『人事興信録』(第九版、昭和6年)「徳川喜翰」、「白井新太郎」
  9. ^ 『日米』The Japanese American News 1930年7月25日号

参考文献

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  • 吉野民司編『帝国名望家大全』吉野民司、1895年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
徳川家(宗家分家)初代
1884年 - 1927年
次代
徳川喜翰