菅田村
すげたむら 菅田村 | |
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廃止日 | 1954年9月1日 |
廃止理由 | 新設合併 大洲町、平野村、南久米村、菅田村、大川村、柳沢村、新谷村、三善村、粟津村、上須戒村 → 大洲市 |
現在の自治体 | 大洲市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 喜多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 4,370人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 大洲町、五十崎町、南久米村、大川村、新谷村 |
菅田村役場 | |
所在地 | 愛媛県喜多郡菅田村大字菅田 |
座標 | 北緯33度30分37秒 東経132度35分28秒 / 北緯33.51022度 東経132.59122度座標: 北緯33度30分37秒 東経132度35分28秒 / 北緯33.51022度 東経132.59122度 |
ウィキプロジェクト |
菅田村(すげたむら)は、愛媛県喜多郡にあった村。現在の大洲市菅田町各町にあたる。
地理
[編集]- 山岳:神南山、根太山
- 河川:肱川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制の施行により、菅田村・大竹村・宇津村の区域をもって発足。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 大洲町・平野村・南久米村・大川村・柳沢村・新谷村・三善村・粟津村・上須戒村と合併して大洲市が発足。同日菅田村廃止。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば菅田村の篤農家は、「有友正親、富永五郎、寺岡文六、大野藤太、富永寅太郎、西野茂一郎、富永定治郎、矢野寅五郎、高田藤馬、福居甚五郎、森常治、池田重雄、二宮近、西村傳」などである[1]。『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』によれば農業を営む人物は「岡田喜十、二宮喜輿嘉、西岡幾雄、福居甚五平」などである[2]。
- 地主
交通
[編集]道路
[編集]- 国道197号(現・国道56号)
出身・ゆかりのある人物
[編集]- 有友不羈太郎(1888年 - ?、養蚕業、政治家)[2] - 村会議員をつとめた[2]。また養蚕に関する知識に富み、教師をつとめたこともある[2]。
- 池田重雄(1870年 - ?、政治家・郡会議員、菅田郵便局長、大洲商業銀行監査役)
- 岡田喜十(1872年 - ?、農業、政治家)[2] - 1922年1月、村会議員に推された[2]。
- 二宮熊雄(1872年 - ?、神職)[2] - 二宮家は代々神職であり、熊雄は其の第15代である[2]。
- 二宮喜輿嘉(1878年 - ?、農業、政治家)[2] - 農業を営み傍ら養蚕をなし区長、部落総代をつとめた[2]。1922年1月、村会議員に推された[2]。
- 福居甚五平(1871年 - ?、農業、政治家)[2] - 1897年3月、村収入役となり、1908年9月、助役に推され1909年1月、辞す[2]。1911年1月、村会議員に選ばれて1期間就任し、1918年、村長に推薦せられて1922年8月迄就任した[2]。
- 井上治(1932年 - ?、陸上競技選手)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
- 『愛媛県人物名鑑 第2輯 喜多郡、上浮穴郡、伊予郡之部』海南新聞社、1923-1924年。
- 『角川日本地名大辞典 38 愛媛県』。