高木正善
高木正善 | |
時代 | 江戸時代後期 - 大正時代 |
生誕 | 嘉永6年9月26日(1853年10月28日)[1] |
死没 | 大正9年(1920年)1月27日[2] |
墓所 | 東京都杉並区永福の栖岸院 |
官位 | 従五位下・肥前守 |
主君 | 明治天皇 |
藩 | 河内丹南藩知事 |
氏族 | 高木氏 |
父母 | 高木守庸 高木正坦 |
妻 | 松平輝聴次女・銑子 |
子 | 糸子(細谷源四郎夫人)、留子(立川太郎夫人)、正得、正光 |
高木 正善(たかぎ まさよし)は、江戸時代後期の大名。河内国丹南藩13代(最後)の藩主(知藩事)。官位は従五位下・肥前守。明治維新後は子爵。
生涯
[編集]丹南藩分家筋の大身旗本・高木守庸の次男として誕生した。正室は松平輝聴の次女・銑子。子は高木正得(長男)。
先代藩主・高木正坦に嗣子が無かったため、その養嗣子となる。明治2年(1869年)11月18日、正坦の隠居により跡を継ぎ知藩事となった。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院議員に選ばれ[4]、1911年(明治44年)7月9日まで在任した[2]。1920年1月27日、または11月に68歳で死去した。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 | 子爵 (丹南)高木家初代 1884年 - 1920年 | 次代 高木正得 |