土倉光三郎
土倉 光三郎(とくら みつさぶろう、明治3年3月20日(1870年4月20日) - 1942年(昭和17年)3月7日[1])は、明治から昭和戦前期の華族(男爵)。備前岡山藩家老家(佐伯1万石領主)であった土倉家当主。
生涯
[編集]1870年(明治3年)、元美作勝山藩主三浦義次の三男として生まれる[1][2]。
1881年(明治14年)、土倉万亀(土倉正彦夫人)の養子となり土倉家を相続した[1][2]。土倉家には先に兄(三浦義次の次男)の鉚太郎が入って当主を務めていたが、1879年(明治12年)に離縁となっており[1]、光三郎による相続までは万亀が女戸主を務めていた[1]。
1906年(明治39年)9月17日、男爵に叙され華族に列した[1]。1942年(昭和17年)没。
家族・親族
[編集]妻は、男爵(元岡山藩家老)池田政和の長女の盈(みつる[1][3])。盈は万亀(政和の姉)の姪にあたる[4]。
『平成新修旧華族家系大成』は1男1女を掲載する。光三郎の死後、1943年(昭和18年)に孫の土倉一郎が爵位を継承し、その後の華族制度廃止を迎えた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 | 男爵 土倉家初代 1906年 - 1942年 | 次代 土倉一郎 |
当主 | ||
先代 土倉万亀 | 佐伯土倉家 1881年 - 1942年 | 次代 土倉一郎 |