川辺村 (長野県北佐久郡)
かわべむら 川辺村 | |
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廃止日 | 1954年2月1日 |
廃止理由 | 新設合併 小諸町、北大井村、大里村、川辺村 → 小諸町 |
現在の自治体 | 小諸市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(甲信越地方) |
都道府県 | 長野県 |
郡 | 北佐久郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 | 3,906人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 北佐久郡小諸町、三岡村、南御牧村、北御牧村、小県郡滋野村 |
川辺村役場 | |
所在地 | 長野県北佐久郡川辺村 |
座標 | 北緯36度19分04秒 東経138度24分52秒 / 北緯36.31775度 東経138.4145度座標: 北緯36度19分04秒 東経138度24分52秒 / 北緯36.31775度 東経138.4145度 |
ウィキプロジェクト |
川辺村(かわべむら)は長野県北佐久郡にあった村。現在の小諸市の千曲川以南にあたる。
地理
[編集]千曲川と急崖の合間の緩斜面に小部落が立地する。地滑り地形が数ヶ所みられ、鴇久保部落から大久保部落にかけての地滑り地帯には風穴(氷風穴)が存在する。江戸時代には夏季まで貯蔵された氷が小諸藩主に献上され、明治時代に製糸業が盛んになって以降は、蚕の孵化時期の調節のため、蚕卵紙の貯蔵に利用された[1]。 一方、村域の広くを占めるのは標高700m〜800mの御牧ヶ原台地である。古くは望月牧といわれる勅旨牧がおかれたとされる。永らく干魃が3年に1度発生するといわれるほど水利に恵まれず、無数の溜め池が築かれている。川辺村農協の指導で昭和25年から馬鈴薯栽培が始まり、のちに優良産地となる。水不足が最終的に解消をみたのは、女神湖からの水路が開削された、小諸市発足後の昭和49年のことだった。住民らの喜びは、御牧ヶ原公民館前に建立された石碑に刻まれた「あゝありがたきかな此の水」(川西土地改良区連合 理事長小山邦太郎謹書)から窺える[2]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山浦村・大久保村の区域をもって発足。
- 村役場は上ノ平部落におかれた。
- 1926年(大正15年)12月1日 - 布引電気鉄道 小諸駅 - 島川原駅間開業に伴い、布引観音(布引山釈尊寺)の急崖下に布引駅設置。
- 1954年(昭和29年)2月1日 - 小諸町・北大井村・大里村と合併して小諸町が発足。同日川辺村廃止。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 20 長野県
- 『小諸市誌 近・現代編』小諸市教育委員会 33p
- 若き日の思い出 : 私の青春符 : 随想と随筆 白石昌人 国会図書館書誌ID 000010711856